『夢千鳥』(2021・宙組)をスカステで見た感想

のきやでです。今更!?てな感じの感想です。スカステのディレイ配信、ゆっくり見たいな~と思って置いてたらいつのまにか3か月以上経過していました……。

公演概要

映画監督の白澤優二郎は、女優の赤羽礼奈と事実上の婚姻関係にありながらも、新作を撮る度に主演女優と浮名を流し世間を騒がせていた。
そんな白澤が挑む次回作は、大正浪漫を代表する画家・竹久夢二の人生を描いた物語。
幼い頃から運命の女を探し続けた夢二もまた、艶聞の絶えない男であった。勝ち気な美貌の年上妻・他万喜と縁を切れないまま、純真な女学生・彦乃への想いを募らせ──
撮影が進むにつれ、白澤は自分と夢二の境界が曖昧になるほどに彼の人生に飲み込まれていく。
夢二の人生を描いた先に、白澤が見つけた愛とは…?

感想

無観客配信だからというのもあるかもしれませんが、どの舞台作品を映像で見ているときよりも映画に近く感じました。舞台転換に不自然なところがないというか、花音舞さんが演じる歌手が「うつら、うつら……」と歌っているのを聞くと、暗転もあっという間に思えます。
実はこれを見た翌日に同じく録りためていた『龍の宮物語』もじっくり見てみました。お話の系統がけっこう似ているので、この2作について比較しつつ感想を書いていくつもりです(どっちのほうが総合的に優れてる!とかいう話ではなく、あくまで好みです)。

まず、和希そらさんって歌もダンスも芝居も何でもできる、ものすごいスターです。特に『夢千鳥』はソラカズキだからこそ宝塚的に仕上がった作品、他のスターさんが演じても好評を得られるかもしれませんが、この内容がこうも抒情的に、しっとりと感じられるのは和希そらが演じているからだと強く思います。
妻・他万喜は(夢二にとって理想の女である姉や、「永遠の恋人」たる彦乃のように)夢二の絵を手放しでほめることはしません。他の男を誘惑し、嫉妬に狂う夢二を見て「もっと妬いて」と高らかに笑います。そんな他万喜に対して夢二は頬を張り倒し、引きずり回して首を絞め、しまいには刃物まで持ち出します。ここで黒い座布団から真っ赤な羽根が大きく舞い上がる演出や、二人の絡み合いをデュエットダンスに見立てて踊らせるのもあまりにも美しくて……。
上記の夢二のDVは見ていられないほどに痛々しいものです。男が一方的に女に暴力を振るうむごい図なのに、なのにどういうことか、夢二のほうが苦しそうな顔をしているんです。他万喜を演じる峰里ちゃんがしゃんと立ち上がると、和希そらの演じる夢二よりも背が高くて。
あとこれも凄いと思ったことなんですが、人は「自分が経験した愛され方」でしか他人を愛することができない生き物。夢二の父・菊蔵は反抗的な態度を見せる彼に「何だその目は!」と激高して殴りつけています。やがて大人へと成長した夢二は自分をきっと睨む他万喜に、「何だその目は……!」と全く同じことを言って、同じように殴りつけます。自分がそうやって(愛と呼べるのか知りませんが)愛されてきたからです。
この脚本、そして和希そらの男役の中では低めの身長と卓越した演技力は、夢二を「暴力的で支配欲に満ちた男」ではなく、「子供の心のまま育ってしまった可哀想なひと」なのだと観客へ示してくれます。

「夢二の愛した3人の女性」には含まれず、出番も少ないのに鮮烈な印象を受けたのが、花宮沙羅さん演じる菊子。何がいいってとーにかく声が綺麗なんですよ……!ここでの「カチューシャの唄」も耳にやわらかい高音で全然キンキンしないし、お客がリクエストするのもうなずけます。「じょうだんよ」の言い方も、文字に起こしたら絶対ひらがなだろうな、と感じるくらいかわいらしくて、それでいて一歩身を引く芸者の切なさやプライドもある。
続けて「所詮私は籠の鳥」と、女学生へのかなわぬ憧れを語る菊子に、夢二はそっとキスをします。何を躊躇うこともなく。この場面、のちに彦乃とのキスを遮るのと対照的ですよね。菊子は夢二にとって「自分より哀れなかわいい女」であり、彦乃は「自分が穢してはいけないと感じた清冽な女」なのでしょう(ところでここの和希そらがえっちすぎて「日活ロマン……?」と支離滅裂なことを口走ってしまうなどしました)。
キスシーンの話がてら、亜音有星くんのことも少し。和希そらと峰里ちゃんを取り合う役どころで、なによりビジュアルが和希そらとまた違ったタイプのイケメン……!役と外見の雰囲気がとてもマッチしていました。背が高く、首が長く、顔は少し丸顔寄り。そして赤羽礼奈とのキスシーンでカメラがアップになるとよく分かるのがつんとした鼻の高さ。ロケットのセンターで立ってても映えるし横顔も美しくて、この圧倒的美に対して「やめましょう。私たち酔いすぎたみたい」と断る場面があるからこそ、最後の「温めてるんだ」の台詞もより爽やかに感じられました。

この舞台では、雰囲気を出すのに当時の音楽が使われています。前述「カチューシャの唄」は1914年、夢二の作詞した「宵待草」が1917年、「青い小鳥」が1926年とまさにタイトル冠の通りの「大正浪漫」の言葉豊かな時代のものたちです。「いつくしみ深き」もそのころには別の題・歌詞で日本に伝わっていたようですし(これは聖歌の授業でウン年前にやったな~と昔を思い出しました)。
フィナーレのナンバーも公演内容に絡めたカバー曲で最高でしたね。「青い鳥は探すんじゃなくて一から育てろ」というメッセージを受けて、白澤監督が選んだのは赤い鳥中森明菜の「ミ・アモーレ」はさすがに知ってたものの、別の歌詞バージョンは初めて聴きました。が、こっちのほうが断然好み!「赤い鳥逃げた」というタイトルに歌詞までぴったりだし、何より「和希そらに中森明菜歌わせたろ♪」という栗田先生のセンスが解釈一致すぎて、ありがたさで天を仰ぐオタクになってしまいます。「夢路より」もただの言葉遊びに収まらず、デュエットダンスをいっそう幻想的に仕立てる素晴らしい歌唱でした。

『夢千鳥』は3人の女との恋愛を描いた作品。だからといって男はずっと同じようすというわけではなく、3人の女それぞれにまったく違う顔を覗かせるのが竹久夢二なのかなと。他万喜にはどうしようもなく、暴れまわる子供のようにぶつかり、彦乃には夢から現れた王子様のように優しく振る舞い、お葉には泣いて縋りついて。私は、夢二が無意識のうちに「相手の求める男性像」を身に着けてしまっている(あるいは、夢二の中に元々すべて備わっている要素だけれど、女の求めるものがよりはっきりと表出される)ように感じました。

↑ここまで書いといて『龍の宮物語』との比較なくない!?となりました。そうです。完全に忘れてました()
舞台の細かな芸術は『夢千鳥』のほうが、結末は『龍の宮物語』のほうが私は好みでした。ただどちらも良作で、これの円盤が出ないなんてもったいなさすぎます!
なんというか、誤解を恐れず言うと、和希そらが『龍の宮物語』をやっても一定の成功を収めそうですが(←もちろんせおっちがベストキャストという前提はあるので「一定の」と書いています)、他のさまざまな男役が『夢千鳥』を上演しても、今の現実の好評に近いほどの人気は得られないんじゃないかな、と思います。序盤の夫婦喧嘩から得も言われぬもの悲しさがなくなってしまったり、リアル男性に近づきすぎた男役では現実のDVがフラッシュバックして素直に楽しめなくなってしまったりしそうな気がします。

ここから先、父とのやりとりについて書くのですが和希そらファンの皆様が気分を害されたらすみません(;;)
『夢千鳥』を見る前日、ちょうどスカステで和希そら・優希しおん・鷹翔千空のDream timeがやっていて、なんと父がぼんやりそれを見ていたんですよね(「シャーロック・ホームズ」に連れて行ったので宙組というワードをぼんやり覚えていたんだと思います)。しばらく見るなり、「このレディースみたいな怖めの姉ちゃんもタカラジェンヌなのか」と聞いてきました。そう、和希そらです…………。
金髪に柄シャツで、あとちょっと三白眼ぽいところ、喋り方がすごく落ち着いているところ、(先輩後輩なんか大体そうなんですが)後輩がかしこまっているのを見て上記のように感じたみたいです。
翌日『夢千鳥』を一人で見ていたら、現実上の人物をモチーフにした作品という点に興味を示して一緒に見てくれました。見終わってから「これが昨日のレディースの姉ちゃん(ド失礼……)だよ」と言うと、驚き半分・納得半分という感じでした。この「納得」がどういうことか、「これが宝塚のアテ書きってやつなんだなあ」という納得です。和希そらも『夢千鳥』も父の想像していた宝塚像とは少し離れていたようですが、その方向性が一緒で納得がいったと。まさにぴったりの役だと感じたみたいです。
あと「シャーロック・ホームズ」の記事でほんの少しだけ書いてますが、実は父は観劇したときも和希そらを一番褒めてるんですよね。笑 本人は名前と顔が全く一致しないとぼやいてますが、案外贔屓なのかもしれません……(??)